井口まみ
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「川崎の女性のあゆみ」を学んで

すすめる会1「川崎市の男女共同社会をすすめる会」が『川崎の女性のあゆみ Ⅱ』を発刊され、記念のつどいに参加しました。副題は「男女平等を求めて 1970年代~1980年代」。第1巻は1945年から1975年の歴史をつづり、今回は2年間かけて、その後の川崎の女性のさまざまな運動を当事者の言葉を集めて作られています。このつどいに参加して、また、「あゆみ」を読んで、「ああ、この方たちの話を聞けるのは私たちの世代までなんだ」とつくづく思いました。

「女は大学なんて行っても仕方がない」「手に職なんかあっても子どもを産んだら家にいるんだから意味がない」「子どもを保育所に預けてまで働くことはない」。高校生の頃、父からさんざん言われたことです。ものすごく反発しましたが、なぜ自分が反発するのか、自分の気持ちもよくわかりませんでした。とにかく自分の人生は自分が選ぶんだ。そう思ってつっぱっていました。大学にはいり、共産党に出会い、女性が優位だった原始の時代から男性が女性を支配していく歴史を学び、憲法に男女同権が明記された歴史を学び、なにより、日本の女性が泣き寝入りせず、家庭でも職場でもそして社会全体のなかで、女性の地位を向上させる運動を取組んできたことを学んで、私自身が一人の人間として成長してきたと思っています。

自分を振り返って思うのは、人権というのは、ひとりでに身につくものではないということです。いまはテレビでも「女性は男性についていけばいい」なんて言うことはほとんどありません。だからなんとなく、男女平等の社会に生きているように思うけど、そういう時代を作ってきてくれたのは先輩たちの奮闘があったからだったのです。そしていまも現実はたたかいのさなかです。女性だからと、能力があってもそれを生かす職や部署につけない。保育園がなく、学童がなく、また、介護のために泣く泣く仕事を辞めるのは圧倒的に女性です。それをしかたがないとあきらめるのか、一人の人間として生きる権利から見たらおかしいと言えるのか。人生にとってその違いは大きいと思うのです。

一つ一つの権利をたたかい取ってきた先輩たちのその葛藤、苦しみを知ることは、自分がその権利を大事にしようと思う気持ちに繋がります。まして、いま、「日本を取り戻す」などと言って戦前の、戦争をし人権を踏みにじり教育を独占しようとする、安倍政権という反動政治が暴走しています。男女平等などはこの反動の人たちにとっては、もっとも鼻持ちならない権利であり、真っ先に取り上げようとしています。この先輩たちが作り上げてきた男女平等の権利をよく知らずに手離してしまってはならない、そういう時だと思うのです。

すすめる会2先輩たちがつぎつぎとご自分の生きてきた道をお話しされるのを見聞きし、今なら聞いておくことができる。これを次の世代につなぐのが私たちの世代の役割だと、つくづく思ったのでした。