井口まみ
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運動は時を越えて生きるーー市川秀子さんを悼む

009市川秀子さんが亡くなりました。とても残念です。もっと長生きしてほしかった。

川崎市多摩区西生田のよみうりランド前駅の閑静な住宅街に高さ9・98メートルのマンションが建つと知らされたのは、2010年でした。10メートルを超えると、隣の市川さんのお宅への日影を一日2時間に制限しなければならなくなりますが、10メートル未満であれば、どんなに日影ができても許される。そんな法の網の目をくぐったようなマンション計画でした。日影図では市川さんのリビングは冬至には1分も太陽が当たらないことが予測されました。ほかにもたくさんの問題を抱えていました。

市川宅10数年前にご主人をなくされ、一人で、豊かな生田の自然に抱かれて穏やかな余生を送っていた市川さんは、そんな無法は許されないとお隣の方と2軒で反対運動を始められました。私たちも応援し、近隣の皆さんに呼びかけて「西生田1丁目の住環境を守る会」を作って、市議会に請願書名を出し、市の建築審査会に異議申し立てをし、裁判所に工事差し止めの仮処分を申し立て、市川さんはその中心として八面六臂の大活躍をされました。お隣の方も同じ歳で当時70代後半の後半。その正義感は並大抵ではなく、「許せないものは絶対に許さない」と、どこにでも出かけ、支援を訴えられました。自宅には横断幕とのぼりが林立し、不当性を訴える掲示板もたちました。残念ながらマンションは建ってしまいましたが、近隣への影響を極力抑えるような改善をいくつも約束させ、1年ほど前に運動はほぼ収束しましたが、まだ残っている問題はこれからでも改善させるんだと、意気軒昂にお話されていた矢先の突然の訃報でした。

010お葬式は家族葬で、先日お別れの会が開かれました。都内に住む市川さんの弟さんがごあいさつで「一人暮らしは危ないから親族がいる近くの老人ホームに入ったらどうだ」と再三すすめたそうです。しかし本人はこの場所で暮らしたいと、西生田を頑として離れようとしなかった。それほどここが好きだったのだと言われました。たくさんのお友達が生前の市川さんをしのびましたが、おっとりしていたことが口々に語られ、とても反対運動なんてする人じゃなかったんだ、とあらためてこの数年間の市川さんの奮闘に頭が下がりました。

「近隣にこんな迷惑をかける建物は憲法違反だ」と市議会で自民党の議員が言うくらいひどい建物でしたが、合法ということで完成しすでにほとんどの部屋が埋まりました。でもあの4年に及ぶ目の回るような運動の中で、住民のみなさんの地域への思いを束ねることができ、マンション建設へのいくつかのクサビを打つことができ、けっしてむだではなかったということができます。その積み重ねで、川崎の住環境を守る仕組みが出来上がっていくのです。運動は、時を越えて生きていきます。太陽を取り戻すことはできなかったけれど、こんなこともしたよね、こんな改善ができたよね、と市川さんとゆっくりお話したかったなあ。おっとりと暮らしている市川さんとお付き合いしたかったなあ、とつくづく残念です。

市川さんをしのび、この運動のために作ったブログに載せた市川さんの、建築審査会での陳述を転載します。このブログ、しばらく開設しておこうと思います。

http://nishiikuta.at.webry.info/201311/article_2.html