井口まみ
井口まみ井口まみ

プチョン訪問3日目―隣国の歴史を知るということ

日本以外の国にいるということはいろんなことを考えることになるんだなあ、と海外初心者の私は、毎日実感しています。いよいよ最終日の3日目も山ほどの経験をしました。

IMG_7579[1]午前中の、そして最後の公式行事は植樹祭。大きな公園の一角に「川崎山水苑」という、川崎市との友好を記念するスペースがあり、そこにあらたに川崎の市の木である椿を植えるセレモニーです。まあ、暑い暑い。両市長と両市議会議長などによる植樹はすぐに終わったのですが、私たち市議団のガイドをしてくれている方が、「ちょっとこちらへ」と案内してくれた碑があります。今回植樹したところから少し離れたところにひっそりと、真新しい碑が。実は今回同時に除幕式を行うはずだったのに、どこからか横やりが入って、だれも紹介することなく通り過ぎてしまうことになったというのです。

IMG_7585[1]誰がこの碑文を書き、だれがそれにいちゃもんをつけ、だれが除幕式を取りやめたのか、さっぱり経過はわかりませんが、とにかくこの文章が気に入らない人がいたのか、それとも気に入らないと言われることを先回りしてやめたのか、どちらかでしょう。過去の戦争を反省せず、教訓を学んでいないのは、それは日本です。日本の側がきちんと過去の問題に向き合っていればこんなことは起きないはず。ここに最大の問題があります。それをまるでもう過去に問題がなかったかのようにしてしまうよう強制するというのは、あまりにも恥ずかしい。でも。とりあえずこの碑は完成し、私たちの訪問の記念になりました。川崎市民にもしっかり伝えておきたいと思います。

議員団の日程に付き添ってくれた旅行会社のユンさんは、今回のこの訪問団をとてもいいことだと言ってくれました。「国と国があまりうまくいっていないときに、こういう市民レベルの交流が大きく行われることで、国も仲良くなれると思っている」「だから過去のことはあんまりとやかく言わないでこれからのことを考えたほうがいいんじゃないか」と、ほんとに善意から言ってくれていました。この碑も紹介はしてくれたけど、「あえて問題になることは書かなくてもいいんじゃない」と言っていました。私はユンさんときちんと話してみたくて、共産党の議員だということを明らかにして、「戦争で苦しめられた記憶は絶対にこれからも残っていく。私たちだって戦争は知らないけれど、上の世代から伝えられ、日本は憲法9条を作ってもう戦争しないと決めたことを誇りに思っている。だから日本人は韓国を侵略し命を奪ったことを忘れてはいけないし、日本政府はそのことをずっと謝罪し、反省を受け繋がなければいけないと思っている」「共産党はその上にたって、アジアで平和の協定を結びたいと思っている。まして戦争する法律なんて絶対にダメだとがんばっている」と伝えました。私と同年代のユンさんは「それは本当にいい。共産党気に入りました」。

IMG_7616そのあと見学したところは、もっと複雑な思いになるところでした。「仁川上陸作戦記念館」。朝鮮戦争で韓国側が圧倒的に不利になり、ほぼ北朝鮮に占領されたとき、マッカーサーが国連軍を率いて仁川の港から奇襲作戦をかけ、ソウルを奪還し共産軍を追い返したことを記念しその資料を展示しています。マッカーサーは救国の士であり、港が見える小高い公園には巨大な銅像もたっていました。奇襲作戦が成功して一時的に盛り返したものの、中国がソ連に要請されて参戦し、ものすごい人海作戦で押し戻されたところでマッカーサーが和解を提案。38度線が固定化されたという歴史を細かに説明する展示でした。繰り返し説明の中で出てくる「共産軍」。共産圏vs国連軍という図式です。歴史はその通りであり、日本共産党がこれらの党とは全く違う党であることも歴史2016-07-23 13.41.04が示していますが、歴史に「もしも」といってはならないけれど、そのときソ連も中国もまともな社会主義国だったら、こんなに朝鮮半島の皆さんを苦しめなかったのに、とつくづく思いました。北朝鮮がほぼ全土を制圧したときに兵隊に無理やり連れて行った少年たちが銃口を向けたのが自分の家族だったという話は決して誇張ではないと、現地ガイドのキムさんが言います。朝鮮戦争がそんな戦いだったということは、全然知らず、ただ知っているのは「朝鮮特需」ということだけでした。ああ、日本人というのはなんと隣国を知らないことか。

夜の飛行機で2時間もすればあっという間に日本です。日本は何と涼しい!!わずか3日で本当にいろいろ勉強しました。充実したけど疲れた3日間でした。