井口まみ
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「希望をもって生きる」--釧路市の生活保護行政

宇都宮健児弁護士の講演で、「生活保護を受けても貧困からは抜け出せない。人の役に立っていると実感できて初めて生きていると言える」という話にいたく感動したのは、つい先週でした。そのことを釧路市は行政をあげて実践していました。

生活保護を受けている人が「車を乗り回している」「朝からパチンコに行っている」という話ばかりが流布され、圧倒的に多くの人たちがどれだけ苦しい思いでやっとここまでたどり着いたかということは、まるでなかったことかのように扱われるのには、本当に腹が立っているのですが、いま国は、そういう話を意識的に流しておいて、生活保護を受けている人たちに対して、就労支援という指導を強力に行い、早く保護をやめよと迫っています。しかし大卒の若者でさえ半分が就職できない昨今、一定の年齢であったり、母子家庭であったり、学歴や資格がなかったりすれば、そう簡単に就職できるものではありません。でも、働け、働けと言われて、最悪の事例では、就職するからと保護を打ち切られ、結局働けずに「おにぎりが食べたい」と書き残して餓死するという北九州の男性の話は忘れることができません。生活保護は最後のセーフティネットであり、本当にすべての財産をなくしてたどり着いた先で、そんな仕打ちをされるのはどんなにつらいか。でも国はそういう仕打ちをしろと言わんばかりの指導をしています。

現場で保護を受けている人たちとあっているのは自治体のケースワーカーです。こちらも大変です。国の基準ではひとりのケースワーカーが80人くらいの担当を持つことになっていますが、80人で収まっている自治体はそうありません。さらにいま、新規の申請が毎日毎日押し寄せてきます。基本的には月に一度は訪問して、生活の様子を見て、働きなさいと指導せよと言われますが、それぞれ事情が違います。90人も100人も面倒見切れない、というのが実態です。

untitled釧路市は、この生活保護世帯の人たちが元気で希望をもって生きることに支援しようと独自の努力を始めました。きっかけは生活保護を受けている母子家庭の実態調査をしたことでした。日々の暮らしに追われ、社会的なつきあいもしていない、ろくに話もしないという毎日で、改めて面接を受けるということもこわい、そういうことが分かってきて、では、すぐ就労ということではなく、たとえば、介護ヘルパーさんの後ろについて行ってヘルパーさんがご飯を作っている間、高齢者の話し相手になって、要望を聞くとか、パソコン教室に行ってみるとか、障害者施設でお手伝いをするとか、そういう中間的な活動はどうだろうかと提案したところ「充実感があった。社会の役に立っているという気持ちだ」「ヘルパーをやって見たいと思うようになった」など、好評でした。それを、男性や他の世代にも広げていったのです。最初はボランティアで、動物園の動物のえさを切ったり、公園の枝切りをしたり、そういう活動の中で、生活のリズムができて、身なりもきちんとなったり、働く自信が生まれて、、その会社に行くことになったりというドラマが生まれていくのです。それを本にもしてしまいました。

また、生活保護世帯のこどもたちが進学できず、貧困の連鎖から抜け出せないことも問題でした。そこで、NPO法人と連携し、「高校に行こう会」という勉強会を始めました。これは生活保護世帯の子どもだけでなく、塾に行けない子どもたちにもひろがり、また、ここに来れば温かく迎え入れてくれると、とても好評で、高校に進学してから今度はチューターとしてくる子もいます。高校を卒業する時には希望者には車の免許も取れるようにして、まともに就職できるように援助しています。

行政のまなざしは「希望を持って生きるようになろう」ということです。どの人も、「自分は社会に必要とされている」と思って初めて頑張って生きようと思えるのです。それを信じて接すること。これまでの生活保護行政には考えられなかった発想ではないでしょうか。わたしも市民アンケートで「もう生きていけない」という人を何人か生活保護に紹介して、何とか生活のめどは立てました。でも、それで終わりではいけないのです。社会的にすっかり遮断されて、すべてを失った人たちが社会に必要とされていることを実感できる支援を、ぜひやりたいと心から思いました。

それを今の行政だけにやらせるのはあまりにも酷です。川崎もケースワーカーは100人は担当しているのです。議会が、そして市民が支えることが必要だと思いました。

さあ、どうやろうかな。