井口まみ
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石井郁子前衆議院議員が引退されて

おととい、9月議会が終わって、あさって川崎市長選挙の公示、というあわただしいなかで、懐かしい人に会ってきました。私が国会にいた10数年前、石井郁子衆議院議員の秘書をしていました。すぐ中路雅弘さんの所に異動になったので半年だけでしたが。その石井さんが、先の総選挙で引退して、無事宮本たけしさんにバトンタッチされ、この日、国会内で、“ご苦労さん会”が開かれ、100人もの人たちが集まったのです。

石井郁子さんは、25年前、大阪教育大学の助教授の職をなげうって、政治の世界に飛び込んだのでした。子どもたちが健やかに成長し、憲法や前の教育基本法に基づいた平和な世界を作る主権者になってほしいという願いは本当に人一倍で、私もそういう本来の教育の精神を、石井さんからたくさん学び、それが今に生きています。川崎市議会には、「第2次世界大戦は『大東亜戦争』と呼ぶべき」などという議員がいて、それを教育に持ち込もうとしていますが、絶対にやってはならないということを、私は石井さんといっしょに仕事をするなかで学んだことから、はっきりと確信を持って述べることができます。

日本の教育界を代表するような、本当に著名な方たちが次々とご挨拶をされていました。皆さんが口々に言われていたのは、「現場の子どもたちの実態をそのまま議会に出し、それを論理的に解明して、解決の道筋を示したのは石井さんがぴか一だった」ということでした。それが何度も国を動かしてきた。世論も作ってきました。本当に難しいと思えていた、高校の学費無償化などが現実的になっていることは、感慨深いものです。国会議員として、最前線で、何人もの文部科学大臣と対決して、本当に駆けぬけてきたんだなあとあらためて国会議員のたいへんさ、その役割の重要さに、こころからご苦労様でしたと、思ったのでした。

国会にいたころの同僚ともたくさん会うことができ、忙しさの中でちょっとどこかにおいてきた元気が、よみがえってきました。さあ、次は川崎市政を変える番。石井さんの心を引き継いで、がんばります。