井口まみ
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ドイツと日本は何が違うのかーーまちづくりの学習会に行きました

IMGP0493ヨーロッパのきれいな街並みはなぜ守れるのか。どうして日本では、古い街並みのどまんなかに平気で超高層の建物を建てるのか。テレビの旅番組を見るたび、海外旅行に行ってきた人たちの話を聞くたび、だれもが思うことです。それに応えてくれる学習会があり、飯田橋まで行ってきました。主催は私も会員になっている「景観と住環境を考える全国ネットワーク」。いつもなかなか興味深い企画を行っていて、今回のこの内容も、とても納得のいくもので、講師の本もしっかり買って、一言一言に溜飲を下げています。

講師の水島信さんは、ドイツで設計士をやっています。向こうの法律、条例、様々な規制の中であの街並みを守りながら新しい建物を作っています。一方日本では、自分の故郷で景観を全く壊していしまう計画にぶつかり、日本の制度との違いを身に染みた経験をお持ちです。

日本は、「都市計画法」で、市街地のすべての土地に用途を定め、高さも建てられる建物の大きさもすべて決めています。ドイツをはじめとするヨーロッパも同じようにしています。というか、日本がおもにドイツを手本に制度を導入してきました。最近では、「地区計画」という手法をとりいれて、住民の意見を取り入れたまちづくりができるようになったと言っていますが、その手本もドイツでした。なのになぜこんなに違うのか。端的に言えば「手法は持ち込んだが、魂は学ばなかった」からだといいます。

都市計画の根源的目的は「快適な住環境の生成」だと言い切ります。色がきれいだとか、高さがそろっているだとかということはその目的を達すると付随してくる結果だというのです。ドイツで街がきれいなのは、そこに住む人たちがそういう町なら住み続けたいと選択してきた結果であって、だから住民はその規制を守ろうとし、行政に反映するのだというのです。

一方日本は、上から規制を作り、住民が守りたいと思うかどうかは関係ない。だから住民参加で決めたはずの地区計画に後からクレームがつくというおかしなことが起こるのです。そこに住む人たちが一番幸せだと思える住環境が、きまりになる。これこそが都市計画!

しかし、と水島さんは続けます。「住民参加で決める」というのはナンセンスだと。素人の住民が専門家のように都市計画の細かな規制を決めることは難しい。それは行政の役割で、住民はいやなことはいやだ、やってほしいことはやってほしいと言い続けるのが仕事だと言うのです。

先日、川崎区の県立川崎南高校の跡地を、県が一般公募で売り払うということが委員会で問題になりました。周りの住民が「ここは防災公園にするため、県から市が土地を買ってほしい」と強い要望が上がりました。しかし市は「ここは商業を行う地域として、地区計画を決めたからそこから外れた計画にはしない」といいはります。まさに、だれがだれのために街を作っているか歴然としました。

余談ですが、総合企画局長は「地区計画で取り入れるべき住民の声というのは地権者だと法律で決まっている」と、周りは関係ないという答弁をしました。日本の地区計画制度がドイツとまったく似て非なるものであることがよくわかりました。

自分たちが住んでいて幸せだと思える街を作るためのルール作り。こんなことができたらどんなにいいだろう。わくわくするような思いで、この本を読んでいます。