井口まみ
井口まみ井口まみ

1月17日に神戸に視察に行きました

PENTAX DIGITAL CAMERA 震災から17年たった、その日だということを行ってから気が付きました。あの日のことを思い出して、実は足が震えました。

16日は京都市で、手厚い高校生の就職支援の事業や、景観保全対策などを勉強しました(これはこれで、とても勉強になったのでのちほど報告します)。そのあと神戸に移動して宿泊して、朝起きたら、テレビは「震災17年目」の報道一色。「ああ、そうだった。そうだったんだ」。

夫の実家が神戸市で、あの日の3日後、夫とお米や水を持って兵庫区に行きました。おじさんの家はかろうじて立っていましたが、まわりはぺちゃんこでした。屋根の下で車が押しつぶされていて、今歩いてきた道路は目の前で2メートルも陥没している。どこを見回しても息が止まりそうな風景でした。

市役所の周りのビルも、真ん中の階が押しつぶされているのも思い出しました。あれから何回も神戸に行って、市役所にも何回も行ったのに、その日のことは何度も思い出していたのに、この日に来たということで、足が震え、息が止まりそうになりました。

神戸市からは、特別支援学校の防災マニュアル、住宅の耐震対策について聞くことになっていました。震災を経験した都市だから、さぞ先進的なたくさんの施策があるのだろうと思っていったのですが、17年たって、市民の4割は震災を経験していない人になり、市の職員も多くが職員として震災を経験していない世代になってきているとのこと。住宅の耐震対策も、あの当時はまだ耐震対策という概念があまりなく、外見だけを直しただけなのに、「もう関西で地震は来ない」「あの時家を直したからもう大丈夫」「そんなにお金がない」と、すすまないのだそうです。

教育委員会の方は、当時は現場の先生でした。避難所に人が続々やってくるときに、特別支援学校はどうしたらいいのか。障がい児はどうすればいいのか、生々しい話を聞くことができました。

市役所の窓から、東遊園地の竹灯篭が見えました。ガラス越しなので写真は不鮮明ですが、竹筒を1.17の形に並べ、その中にろうそくをともしていたのが、どのテレビでも映っていたところでした。

首都圏にも必ず大規模地震がやってきます。私たちは何ができるのか。改めて考えさせられた視察でした。