井口まみ
井口まみ井口まみ

公害の歴史を後世に残すために

6月議会で「公害の歴史の継承について」という質問をしました。過去の出来事を正確に学び、きちんと反省しなければ過ちをまた繰り返す。憲法9条の問題を見ていてつくづく思い、川崎の公害も同じだと思ったのと、四日市市の資料館を見学した衝撃をどうしても議場で伝えたいと思ったのです。

思い入れの強い質問だったので、自分ではまとめることができず、なかなか全体を紹介できないなと思っていましたが、動画がアップされ、議事録もできたので、全体はそれをごらんいただこうと思います。文字でも読めるようにしました。

http://www.iguchi-mami.jp/archives/4247

このなかで議場のディスプレイを使って説明したところがあります。議事録などには残っていないので、ここで紹介します。

図1

1984年に川崎公害裁判原告団などがつくった「生きる権利」というドキュメントの最初の画面。私はこれに2014年の夏に初めて出会い、息もできないほどの衝撃を受けました。話には聞いていた、すすをかぶった洗濯物を「初めて見た」といったら「映像では腐った卵のにおいがない」といわれたことがもっと衝撃でした。

 

図2

「生きる権利」に映し出される小児ぜん息の患者さんの映像です。こうした映像が何分も何分も、そして何人も何人もでてくるのです。

 

 

図3

1972年ごろ、当時の川崎市公害局がつくった、公害をなくすために川崎市が何をしているかという公報映画。この最初のシーンは、正月、工場の操業がとまった3日間だけ青い空が見える、しかし、その4日目からまた真っ黒な煙が覆い隠す、こういうシーンから始まります。

 

図4

2015年4月オープンした「四日市公害と環境未来館」。近鉄四日市駅から徒歩数分に、市の直営で総工費7億円をかけて1,200平米の広さに公害に関する膨大な資料や環境に関する資料が集められている。公害を二度と繰り返さないためには、当時の出来事を反省し、未来につなげていく必要があるが、40年以上たって貴重な経験や体験が風化して失われてしまうおそれや、当時の資料も散逸する可能性が高まっていることから、当時の貴重な資料等を収集整理するとともに展示などを行い、多くの人に知ってもらう必要があるとして、収集した資料等を適正な保管を行い、未来に継承していくとしています。

 

図5

公害の実相を伝えるブース。当時の方々の証言や苦しみの様子とかという展示ももちろんありますが、衝撃を受けたのは、裁判で裁判所まで行けないので録音で証言をした患者さん、原告のその証言のテープです。本当にせきをしながら苦しみながら、なぜ自分はこんな思いをするのかということを切々と訴えておられました。

 

図6

裁判記録を市民団体の皆さんが残していったガリ版刷りの記録。

 

 

 

 

図7

ぜんそくになると気管支がどのように悪くなっていくかということを、実際に実物の手ざわりも含めてつくった気管支の模型。大学の研究成果で、さわることができます。裁判の過程で、いかに科学的にぜん息と大気汚染の関係を実証したかということもわかるようになっています。

 

図9

証人の方たちの幾つもの映像がたくさん集めています。この方は現在唯一生き残っておられる原告の方です。このほかに、亡くなったお子さんのお母さんや、研究者、市の職員もいますが、私が一番びっくりしたのは、当時の被告企業の役員の方や、被告企業の中に働いていた研究者の証言も集めたことです。

 

図8

青い空を取り戻すために、行政や企業などがどういう取り組みをしたかを展示するブース。市議会のコーナーもありました。

 

 

 

率直に言って、この四日市市の資料館も「公害はもう終わって被害はない」という立場に立っていることは否めません。本当はまだ有害物質は出ており、健康被害はこどもたちを中心にひろがっています。そのことにまっすぐに目を向けていないという限界はあるとしても、過去の過ちにまっすぐ向き合い、二度と繰り返さないという決意を示していることに川崎との違いをつくづく感じます。また、ボランティアで場内で解説をしている人たちのお話は、この限界を乗り越える気概を感じました。

川崎にもなんとしても作ろうと思います。