井口まみ
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三沢川の治水対策を!神奈川県横浜川崎治水事務所川崎治水センターに行きました

DSC_0120昨年10月の台風の被害を受けた多摩区菅稲田堤地域の方たちが「水害から菅稲田堤を守る会」を結成しています。市議会には4000名を超える陳情署名を提出し、3回にわたる市との交渉を行っていますが、この方たちの要請を受け、3月27日、三沢川を管理する神奈川県の横浜川崎治水事務所川崎治水センター(以下、治水センター)に要請に行きました。石田和子県会議員が取り付けをしてくれました。

治水センター要請書会の皆さんは、切実な実態を示した要請書のほかに、詳細な資料と質問書を作ってこられました。要請書の写真をつけておきますが、これだけでも胸が痛む内容です。皆さんは本当によく調べておられ、核心を突く質問をされていました。治水センターの回答から私なりの感想を書きたいと思います。

稲田堤の浸水の原因は、多摩川が計画水位を超える水位に達し、三沢川の水が流入しづらくなって、三沢川の水位が上がり、そのために三沢川に流入するはずの用水路の水があふれたことです。当日の午後4時に、国土交通省の三沢川の河口の水門を閉めました。この時に三沢川の水位が一気に上がったことが国の資料で分かります。国はあわてて水門を開け、三沢川の水位はすぐに下がりました。そしてこのときに、第1回目の浸水があったのです。住民の皆さんは市の道路公園センターに通報しましたが、三沢川の水門の開閉の担当者に、用水路の越水が伝わっていなかったことがわかりました。もしも、それが伝わっていたら、その後の三沢川水門の開閉にもっと注意が払われたのではなかったか。用水路を所管する川崎市もできることがあったのではないか。痛恨の事実でしたが、そういう認識が担当者にないことが明らかになり、住民の皆さんの失望を買いました。

大きな被害を出した用水路の出口にはフラップゲートがついていますが、いつからかこれが鎖でつながれて空きっぱなしになっており、これが被害を拡大しました。なぜいつから鎖が付いたのか、管理者である治水センターは把握しておらず、被災後住民から指摘されてから鎖を切りました。毎月1回三沢川を監視しているとのことですが、見落としていたことがわかりました。所長は「反省点である」と言われましたが、どういう監視をしているのかが問われます。本来、用水路の管理者(つまり市ですが)がもっと管理すべきだと言われましたが、出口は三沢川の岸壁であり、見ればわかることでした。三沢川の川底に土砂が堆積していることも指摘されました。「点検して必要なら対策をする」という回答でした。

IMG_2053[1]50年近く放置されていた大丸用水の水門の管理については、最後まで「川崎市と協議中」と言って、いつどう直すのかわかりませんでした。この付近に監視カメラと水位計はすでに県がつけたことが明らかにされ、その数値や映像は治水センターのホームページで自動的に公開されるそうです(動かすのは緊急時のみ)が、肝心の水門はまだそのままです。一応治水センターの見立てでは、修理すれば使えるので、暫定的にでも動かせないか検討しているとのことでした。一体いつまでに結論を出すのか、これが最大の問題です。早くしてほしい!と声を荒げてしまいました。

DSC_0146川の管理は本当にタテ割で、多摩川は国、三沢川は県、用水路は市と、要望を届ける相手を変えないと、住民の皆さんには切実でも全くうけとめてもらえないという感じになります。これが腹立たしい。さいわい、日本共産党は国会にも県会にも議員がいるので、とにかくその連携で要望を届け続けなければ、と思います。今回も石田和子県議に来ていただいてほんとうにありがたかった。