井口まみ
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コンビナート火災の教訓を学びました――市原市に視察

IMG_5680[1]10月17日、千葉県市原市に視察に行きました。テーマはコンビナート防災。東日本大震災の際に液化天然ガスのタンクが爆発し10日間以上燃え続けた事故の対応をうかがったのです。

なぜ今頃なのか。コンビナート火災は震災後ずっと問題意識はあったのですが、最近、国が川崎の住民の意見を無視して羽田空港から離陸する飛行機がコンビナート上空を通すようになり、万一落下物があったら大火災になるという問題提起から、もしそうなったらどうすればいいのか、いまなにが必要かを学ぶことになったのです。

IMG_5691[1]あの日、市原は二度震度5弱に襲われ、2回目の時にタンクの一つの脚が壊れ倒壊。下のパイプを壊してそこからガスが漏れ引火。午後5時に最初のタンクが爆発してその後大爆発が5回。10数個立っているタンクのうちの多くが燃えてしまいました。どのタンクにも安全装置があり、会社には自主消防隊も消防車もあったけど、とても役に立たないような事故が起こるとは思ってもいなかったと。巨大な「大容量泡放射システム」を国は配備していたけれど、巨大すぎて配置する場所がなくあえなく撤退。検討の結果、周りを冷却しながら、壊れたタンクを安全に全部のガスを燃やしきることで鎮火させるということになり、11日間かかったとのことでした。

IMG_5700[1]また、爆発もすごかった。爆発現場から6キロも離れた住宅街に1メートルを超える鉄板が飛んできた。川崎の臨海部から6キロというと、市役所も川崎駅も通り越し、幸区の御幸小学校まで行く距離です。動画もありましたが、映画を見ているような気持ちで、これが現実かと思うと足がすくみました。消防職員、現地の社員もけがをされた方はおられましたが、命を落とされた方がいなかったことは本当によかった。「あと一歩で分からなかった」というお話もせっぱつまっていて、一瞬の決断に敬服しました。火災が発生した直後に現場から2キロほど離れている住宅の人たちは最寄りの小学校に避難したけれど、そこが爆風でガラスが割れるなどしたため、数百人が慌ててバスで6キロ先の内陸の避難所に行ったといいます。消防団が警戒に当たり、自宅にいた人たちもいたとのことでした。

市原市では、この経験をふまえ、避難の方法の改善を計画に載せるとともに、国の支援を受けて、エネルギー・産業基盤災害即応部隊「ドラゴンハイパー・コマンドユニット」と、消防ロボットシステム「スクラムフォース」を配備しました。最新鋭です。

さて、川崎はどうでしょう。今の装備ではもちろん不十分ですが、地理的条件も抱えている危険物も全く違う川崎市でどういう整備が必要なのかはもっと考える必要があります。それを考えていないこと自体が問題なのでは、と思いました。さらに何より、新飛行ルートをやめさせることがまず必要だと、強く思います。